【ビークワ補足】日本の「ミヤマクワガタ」をめぐる欧州の研究史

日本の「ミヤマクワガタ」の新種記載

ロシアのモチュルスキー V. de Motshulsky(1810- 1871)は、日本の甲虫を最も古くから研究し、ノコギリクワガタなど100種あまりの新種を記録していることで著名な甲虫学者だ。標本の多くは、1853年から67年にわたって、下田、江戸、函館などに駐留したロシアの外交官ゴシケーヴッチ I. A. Goschkewitschとその妻Elizavetaが採集したものと伝えられている。(林、1987)

林長閑, 1987. ミヤマクワガタ. 文一総合出版.

 

日本のミヤマクワガタは、Insectes du Japonと題したの著作の中で、Lucanus maculifemoratus として記載された。

ここではメスについても記述されている。残念ながら、産地の詳細についての記述は見当たらない。

基準産地はこの著作のタイトルのとおり「Japon」に他ならない。だが、それ以上はわからない。

 

その翌年、1862年に、イギリスの昆虫学者パリー F. J. -S. Parry(1810- 1885)は、Lucanus hopei Parry, 1862を記載した。メスは未確認。

基準産地は、「Ind. Or.」と記されている。以下に原記載文を引用。

 

また、その2年後のクワガタムシについてのモノグラフで、あらためて日本のミヤマクワガタについて記した。

☛ Parry, F. J. S., 1864. A Catalogue of Lucanoid Coleoptera; with illustrations and Descriptions of various new and interesting Species. Trans. R. Ent. Soc. London, 3 (2): 1-113, 12 pls.

以下に原記載文を引用(p.9)。

ここでの基準産地は、「Ind. Or., aut Archipel Malay」となっている。

1862年、そして1864年に記された基準産地「Ind. Or.」とは、「Indie orientalis」、すなわち現在でいうところのインド、東南アジア諸国、中国、そして日本をふくむ、いわゆる「東洋」を表す言葉だ。

また挿絵は、左右両方ともに触覚の先端の片状部が欠損した、中型の「基本型」の個体である。

※ ビークワの解説では、触覚が「書けている」となっている!原稿では間違っていないので、なぜそのような誤植が発生したかは不明!大変申し訳ございません。

  • 筆者は未確認だが、タイプ標本は「エゾ型」とされ、パリの自然史博物館に所蔵されているらしい。
    1864年の挿絵に描かれた個体とは、別の個体と予想されるが定かではない。

 

Lucanus maculifemoratus Motshulsky, 1861

Lucanus hopei Parry, 1862 

 

以上が、「ミヤマクワガタ」に関する最初期の2つの記載である。

いずれも原産地が、「日本」以上の情報がない。

 

 

プラネットPlanetによる分類

このような日本のミヤマクワガタを取り上げた記述は、1898年に、フランスの甲虫学者で標本画家のプラネットL. Planetによって呼び起こされることとなる。

 

プラネットは、1898の論文(Planet, 1898a) において、Lucanus maculifemoratus Motshulsky, 1861であるが、「はるかに優美な変種」としてボワローのコレクションにある2♂♂を、変種 Var. elegansとして記載した。

 

☛ Planet, L., 1898a. Description d’un Coléoptère nouveau. Le Naturaliste, 20: 19. 

プラネットが自ら描いた挿絵が図示されており、2個体ともラベルは「Japon」の「1886年、函館hakodate」である。

ひとつはフェアメールM. L. Fairmaireの手元にあった個体、

もう片方は、シュタウディンガーM. Staudingerから入手したもので、そちらには「Ning-Poo, juin 1893」と追加のラベルが付けられていたことが記されている。(中国浙江省の「寧波」のことだろうか。標本がもたらされた集積地のデータなのだろうか??)

♀は未確認とある。

 

***

その後、同年、アマミミヤマクワガタLucanus ferrei Planet, 1898の新種記載とともに、ミヤマクワガタについて追記した。(Planet, 1898b)

 

Planet, L., 1898b. Essai monographique sur les Coléoptères des genres Pseudolucane et Lucane. Le Naturaliste, 20: 251- 253. 

検したのは2♂♂2♀♀とのことだが、「Yeso」ラベルが付された雌雄の挿絵を添えている。

注目されるのは、「頭の側面が反り立っている」とエゾ型の頭冠の発達具合について具体的に記している点である。

挿絵の頭部を見てみると、これまでの挿絵の描写よりも、側面が反り返っている立体感が陰影によって際立たせられているのがわかる。

♀は、L. maculifemoratusよりも細見で「エレガントな」体型で異なっていると書いている。抽象的な表現であるが、まずメスに違いを見いだしていたようだ。

 

ここまでで学名を整理すると、以下のようになる。※(括弧内は筆者の補足)

Lucanus maculifemoratus Motshulsky, 1861 

Lucanus hopei Parry, 1862 エゾ型?(1864年の挿絵は基本型)

Lucanus maculifemoratus Var. elegans Planet, 1898 北海道産の基本型~エゾ型

 

***

 

プラネットは、翌年の論考で、オーベルチュールによってLucanus hopei Parry, 1862の存在についての指摘を受けたことから、あらためてミヤマクワガタに関して考察した。(Planet, 1899a)

 

☛ Planet, L., 1899a. Essai monographique sur les Coléoptères des genres Pseudolucane et Lucane. Le Naturaliste, 21: 276- 278. 

 

その結果、Lucanus hopei Parry, 1862をミヤマクワガタの学名として用いることにした。

つまり、Lucanus maculifemoratus Motshulsky, 1861に先取権はあると認めながらも、モチュルスキーが記載した1年後に、パリーが付けた名を優先したのである。

その理由として、「L. hopeiが、L. dybowshyiL. maculifemoratusの間を移行していることを念頭に置けば、種を構成しているのはL. hopeiとするほうがはるかに合理的だ」という、要領を得ないものである。

そして、Lucanus hopeiの名に、主として北海道よりえられた基本型~エゾ型の個体をあてて、前年に記載したばかりのVar. elegans を自らhopeiのシノニムとして処理した。

この論考に付けられた挿絵に、基本型(挿絵1)とエゾ型(挿絵2)が混合して描かれたことは、それを裏付けている。

その一方で、第一内歯が発達する型(フジ型)をLucanus hopei Var. maculifemoratusとした。(挿図3,4)

プラネットはすでにミヤマクワガタがもつ固定されない豊かな個体変異をはっきりと認めており、「地域によって、そしておそらく標高によっても大きく異なる虫であるようで、とりわけ2つの型に属している」と看破している。

「Var. maculifemoratusは横浜Yokohama近辺で優勢なようだ」と記している点は興味深い。おそらく、横浜周辺の個体を入手していたのだろう。

ここでプラネットが整理した結果、学名は以下のようになった。※(括弧内は筆者の補足)

 

Lucanus hopei Parry, 1862 (基本~エゾ型)

Lucanus hopei Var. maculifemoratus (フジ型)←ここにおいて、プラネットはmaculifemoratusをフジ型と考えていたことが明確になる。

 

Lucanus sericans Snellen van Vollehoven, 1861

ちなみに、Lucanus maculifemoratus Motshulsky, 1861と同年に記載された、Lucanus sericans Snellen van Vollehoven, 1861という名がある。

プラネットは、先立つ論考(Planet, 1899a)でこの種に言及し、「ミヤマクワガタの小型であり、同種だろう」と考え、また産地が「Java」となっている点は、誤りだと指摘した。

先取権の問題があるが、記載者間のやりとりでモチュルスキーのほうが優先されたもよう。

 

なお、本種のホロタイプは、オランダのライデン自然史博物館に納められている。(荒谷、2000ほか)

(Sawada, 2000, Plate 8 より引用)

☛ Sawada, Y., 2000. A list of Japanese Insect Collection by P. F. Von Siebold and H. Bürger preserved in National Natuurhistorisch Museum, Leiden, The Netherlands. 2: Coleoptera. Bull Kitakyushu Mus, Nat. Hist., 19: 77- 104, pls. 6- 9.

☛ 荒谷邦雄, 2000. 欧州博物館探訪記:2. 王立ライデン自然史博物館にvan Roon, およびシーボルトコレクションのクワガタムシ標本を訪ねて. 月刊むし(350): 4- 16.

***

 

プラネットは、ミヤマクワガタについて最終的な考え方をモノグラフ(Planet, 1899b)において、より充実した巻末挿絵とともに再録した。

☛ Planet, L., 1899b. Essai monographique sur les Coléoptères des genres Pseudolucane & Lucane. Vol. 2., Deyrolle Ed., Paris. 143 pp, 16 pls.

自らの手になる充実の挿絵は、数多く収録された。

最終的な分類は、挿絵からもわかるとおり、以下のようになっている。(Planet, 1899b, p. 130)※(括弧内は筆者の補足)

  1.  Lucanus hopei  (エゾ型)
  2.  Lucanus hopei  f. elegans  (中間の型=基本型)
  3.  Lucanus sericans Snellen van Vollehoven, 1861 =hopeielegansの中型
  4.  Lucanus hopei Var. maculifemoratus (フジ型)

 

ここでは、基本型とエゾ型を分けるために、みずからシノニムにした elegansの名を、hopei の名の下に型 form.として復活させている。

※ ビークワにおいて、elegansのところがVar.になっているが、正しくはf. [form] です。

 

 

所感

プラネットがいう「hopeiの名を用いた方が合理的」というのどのようなことなのだろうか?

プラネットは、hopeiが担う型は、「基本型~エゾ型」と考えていた。
それは、最初にVar. elegansとして記載した際に検した個体がそのような顔ぶれだったことと同一である。実際、それらはhopeiのシノニムに処理したことはそれを物語っている。

一方で、maculifemoratusの名に相当するのは、「フジ型」と考えた。
タイプ標本がフジ型だと認識したきっかけは定かではない。
タイプ標本を実見したのか、オーベルチュールら仲間からの伝聞なのか、想像の域を出ない。
が、一連の考察では、maculifemoratus=フジ型、というのが土台となっているのは明らかである。

この点が、キモである。
のちに、この点を黒澤によって大どんでん返しされることになるからだ。

ただ、「フジ型」は、「エゾ型」と「基本型」の間よりもゆらぎが少ない安定した型といえることは、おそらくプラネットは分かっていた。

それゆえ、フジ型とチョウセンミヤマL. dybouskyiを引き合いに出し、そのあいだを繋ぐ種として、hopei を想定した。多様に変異する日本のミヤマの分類を考えるならば、変異の幅がある型に対して付けられた名前が、より原名としてふさわしいと考えたのではないだろうか。

しかし、だからといって、以下のやり方は許されるのだろうか?

  • 先取権のあるmaculifemoratusよりも1年後のhopeiの名を優先して用いたこと。← ここがダメなのは明白!
  • シノニムとして処理したelegansの名を、hopeiの下に、「型」として復活させたこと。
  • hopeiの下でmaculifemoratusの名を、変種Var.の名としたこと。

このようなプラネットによるミヤマ愛に溢れた“暴走”は、日本の「ミヤマクワガタ」の研究史のなかの厳然たる事実として残っているわけである。

 

 

ディディエDidierによる挿絵

☛ Didier, R. et Séguy, E., 1952. Catalogue illustré des Lucanides du Globe. Atlas. Encycl. Ent. (A), 28: 112 pls.

☛ Didier, R. et Séguy, E., 1953. Catalogue illustré des Lucanides du Globe. Texte. Encycl. Ent. (A), 27: 1- 223, 136 figs.

 

1952年のディディエのモノグラフ(Didier, R. et Séguy, E., 1952)に収録されたプラネットが描いた挿絵は、クワガタ研究の基礎資料として重要だ。

そのなかに日本のミヤマクワガタの姿が見られるのだが、2つの型に分けられている。

Lucanus hopeiの名に「エゾ型」、そしてLucanus maculifemoratusの名に現在でいうところの「フジ型」があてられ、見開き4ページにわたって掲載されているのだ。

 

ここで著者らは、プラネットが1898年に考えた変種(Var.)ではなく、明らかな別種(sp.)として扱っている。

挿絵はプラネットなのだがw

本種がもつその大きな変異は、当時の欧州の研究者がそれらは別種だと考えてしまうほどに十分だったことをうかがわせる。

 

プラネットの考察から半世紀経ってもなお、「日本のミヤマクワガタ」はその格好良さもあいまって、議論をよぶホットなトピックだった一例といえるだろう。

 

Author: jinlabo

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