【ビークワ補足10】~クラーツミヤマ Lucanus kraatzi~

いやはや、とりあえず「ビークワ補足」とタイトル掲げておりますが、言いたいことや背景は限りなく延々続いてく・・・。

 

さてさて今回は、クラーツミヤマLucanus kraatziを取り上げます!

 Lucanus kraatzi kraatzi Nagel, 1926  クラーツ(原名亜種)

 Lucanus kraatzi giangae H. Ikeda, 1997  亜種-ザン

これまた、日本におけるミヤマ認識において重要な種。スルーするわけにはいかない。

先日の大手町フェアで、入手したのが原名亜種のヴィンテージ標本でした。

クラーツについて書くのに絶好のタイミング、

否、書けって意味で私の手元に来たでしょ!?的な邂逅だったので、

この子を糸口にみていきましょう。

体長は50mm半ばほどの、中ー小型の個体。

右触覚が修理され、一つだけ爪の片側が欠損していたのだけれども、状態はいい。


購入時、じつは大顎が左右で上下にいちじるしく段違いな、いわゆる「顎ズレ」になっていて。よく見ると、奇形ではなく、顎基部の関節がはずれてズレていたんですw

関節を戻す方向に慎重に力を入れた結果、はずれた関節がうまく入って、整った。

良かった。

ついていたラベルは、2枚。


フランスのラクロワJ.P.Lacroixの名が綴られたラベルには、種名とともに「1987.」年と記されている。

もうひとつの茶色く古びた紙片には、「SeeーTsong, Alt. 2000m. Est Yunnan」とタイピングされてある。

 

ディスクリプションはこのへんにして、クラーツが取り上げられた文献を振り返りましょう。

クラーツの存在が広く世に知られたのは、このディディエDidierとセギーSéguyの著作によるところが大きい。

Robert Didier & Eugène Séguy

Catalogue illustré des lucanides du globe
Paris : Paul Lechevalier éditeur
1952-1953.

1952年は、挿絵が中心のATLAS、すなわち図版集が、

1953年には、先のものより小型の判型で、より精緻な情報をまとめたテキスト中心のものが発行されている。

フランスのプラネットPlanetによる挿絵はよく知られているが、このディディエらの著作にもプラネットが描いた挿絵が数多く掲載されていて。こういった当時の研究者同士の交流って、興味深いですよね。

プラネットは、さしずめ現代日本でいうところの川島逸郎氏のようなポジションだろうか。

今回グラフィック社から出る図録は素晴らしい(確信!)ので、みなさま買いましょう!

 

そのなかでプレート17(XVII)に、私たちは、クラーツの勇姿を見ることになる。

のところを見てみよう。

♂の標本、Ost Yunnan:Sseu Tsong, 2000m. 

1927年11月2日(記載者Nagelのコレクション)、最初の描画

と読める。

ここで「Protographie」って書かれるけど、こういう表記って当時はポピュラーだったのかな。

よく図鑑にある「ここで初めて図示した」って表現と、変わらないものと想像します。

 

 

Ost はドイツ語で東部なので、Estといっしょ。「雲南省東部」という意味。

 

そして、Sse-Tsongという場。

この記載について、『中華鍬甲』Ⅰ(84頁)で、「Sse-Tsong(Shizong),northeastern Yunnan.」と明らかにされており、タイプローカリティ、つまり原記載地とのこと。

クラーツについては、83-86頁に取り上げられている。

 

『中華鍬甲』のこのⅠ巻で大いに意義があるのは、巻末にまとめられたタイプ標本のイメージである。

以下のように、ディディエのクラーツの挿絵も収録された。スバラシイ!

実はこの挿絵、先に取り上げた1952年のものとは異なる。

よく見て欲しい。

鞘羽のラインに沿う形で、脇にプラネットPlanetのサインが見て取れる。

ディディエは、このプラネットのサイン入りの挿絵を載せた論文を1927年に出している。

Didier, R. Descriptions sommaires de Lucanides nouveaux. Bulletin de la Société entomologique de France: 202-205

『中華鍬甲』で引用された挿絵は、この1927年版のものなのである。

 

原記載はというと、その前年の1926年に、ドイツのナーゲルNagelによって記された。

 Nagel, P. Neues über Hirschkäfer: Entomologische Mitteilungen 15(2): 116-120

これについては私は未入手で確認できていないが、ディディエのものとは違う挿絵があるとのこと。ぜひ見てみたい。

 

 

さて、だいたいの背景を理解した上で、大手町で入手した個体のラベルを見返しましょう!

そう、原記載の情報とまったく同じなのです!

ディディエでは原記載に倣ってOstと書かれていたが、ラテン語的にEstになってはいるが同じ「東部」という意味。

 

ホントなんでしょうかね~なんか、まず疑ってしまう。記載データを丸写ししてそこで採れたことにしたとか、あり得なくもないな~

ラクロワラベルの「1987」というのも、採集年というよりは、コレクションに入ったのがその年、と理解できるように思う。そうすると、採集年月日不明な標本ということになるわけだ…

 

とはいえ、

原記載の地(TL:タイプローカリティ)のラベルが付属しているクラーツであることは紛れもない事実。

それ以上それ以下でもない。

貴重だ!ということにしておこう。

 

今は亡き標本商の葛信彦氏に、とあるオールドコレクションを入手したことを報告した際、

「そのなかにクラーツいなかった?」
「古いコレクションにひょっこり混ざってたりするんだよ。」

と言われたことを思い出す。

 

この個体は、老舗パイネの宮下氏の放出品。
宮下氏がかつてオールドコレクションをごっそり入手したものの中から、フェアに際して出していいと思った売れてもいい標本だったのでしょう。

けど、

私にとっては、

 

「おォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ…」

 

っと釘付けになる、価値ある標本だった。

 

この標本に気づいたとき、

ふいに葛さんとのやりとりが思い起こされて、ああ、こういうことを言っていたのだなぁ~と、

十数年前の伏線が、ようやく回収されたようで、

とても感慨深かった。

 

購入するとき、宮下氏がまじまじと標本を見て
「クラーツねぇ。雲南のはないよ!」って言ってくれたのだけど、いやはやさすがですw
氏の昆虫愛、その深さと守備範囲の広さには、感服です。

大切に引き継ぎます!

パイネのHPはコチラ

 

 

葛氏との話に戻ろう。

思い返せば、クラーツの件はよく話したものだった。

「クラーツの原名」・・・

日本でクラーツミヤマといえば、

90年代にベトナム北部よりもたらされたミヤマクワガタ属の代表的なひとつだった。
「クラーツの原名」などという通り名、というか認識ができあがった背景には、やはりクラーツのベトナム亜種 ssp. giangaeの存在が大きい。

Lucanus kraatzi giangae H. Ikeda, 1997

記載は池田晴夫氏で、葛さんの奥様Giangさんへ献名された。

池田氏は、ヌエクワガタなど数々のクワガタにその名を残し、いまや希少本となる『世界の珍奇クワガタムシ』(1998)を出版されている。もちろん発行はオフィス・カツラだ。

小数部発行のシリアルナンバーも付いている本です。持ってない方は手にしましょう!

 

そうしたクラーツ亜種も含んだベトナムでの成果は、葛氏と奥様連名で、『月刊むし』のクワガタ特集14号(2002年8月号)に発表された。

この影響は大きく、日本人コレクターの認識においてクラーツミヤマベトナムとなるのは自然なことだった。

 

だからというわけではないと思うが、いわゆる「ミヤマ専」な自分がオフィス・カツラを訪ねると、きまって「クラーツの原名」のことを聞かれた。

博学な葛さんのなかでも、やはり当時は情報がほとんどなかったクラーツの原名亜種は気になる存在だったのだろう。

奥様の名がつけられた虫の原名亜種なわけだから、当然であるw

いつかの『月刊むし』の巻頭コラムで、赤ちゃんを抱いた葛氏の写真とともに、「今月のむし」は「クラーツミヤマ」だった。

ちなみに、葛さんがいちばんカッコいいって言ってたのは、当時まだまだ高値の花だったフジタLucanus fujitai Katsura et Giang, 2002 だったことは記しておこうw

 

本棚からごそごそと1952年のディディエのプレートを出してこられて、この挿絵を見ながら、話しが始まるw

「ほんとにこんなのいる?」
「こんなカタチにならないよね~」
「誇張しすぎだよね~想像だよね~」などなど、葛さんはぶつぶつと話した。

 

当時、中国便はデータの信憑性もあって忌避されていたし、蝶屋さんとちがって直接採集するひともいませんでしたから、入ってきませんでした。

例えば、水沼図鑑に図示されたクラーツを思い浮かべてもらえれば、分かってもらえるかな。

{後日図示するかも}

本当に近年SNSのおかげで、激変です。

 

しかし、

しかしである。

最近の、ebay見ましたか?

 

ここに集うみなさまは、きっとお気づきだろうと思う。

ずらっと並んだ70mmクラスの個体などは、大顎を思いっきり開いたならば、このプラネットの挿絵のような迫力を示すわけですよ・・・

ちょっと前までは60mmを越せば大型って言っていたのに・・・

ミヤマあるあるですけど、数ミリ違うだけで急にモンスター感がでる感じというか、格がちがうってやつですね。

 

実際、頭部の平べったい広がりなどはじつに特徴的で、他にカンターLucanus cantori Hope, 1842 しか示し得ないカタチじゃない!?

え、もしかして、クラーツってカンターに近いん?

 

でもそう簡単な話じゃない。

メスの形態がそれを示唆しています。決定的に。

クラーツは、顎が左右非対称のヒメミヤマ系、
カンターは、独特な丸い体型で根元が抉れた顎の、いわゆるカンター系。

{後日比較画像UPします}

なんなんでしょうね、本当に不思議なものです。

きっと、大型のクラーツの標本を見たプラネットの感覚も、きっと同じようなものだったのではないかな。

だから、まさに「気持ち」アレンジが入ってて。

ここらへんの案配というか加減というものを、生物画を手がける川島さんにぜひ聞いてみたい。

でも、プラネットの挿絵のカンターと比べると、このクラーツはそれに決して似ているわけではない。

{後日図示するかも}

これってとてもおもしろいと思うんです。

誇張があるとはいえ、実物へのまなざしは、両者の個性や微妙な差異を、確実に捉えている。

そして、われわれもそれが分かる。伝わる。

さすがの慧眼!ハンパない。

いずれにしても、クラーツの挿絵からは、氏の感動とミヤマ愛がにじみ出しているように思われてくるわけですね。

 

今、流通している「クラーツの原名」の70mm級を、葛さんはどう見ただろうなぁ。

 

ちなみに、

最近のは四川省産ですね。

本種は、雲南省はもとより、貴州省にも産します。

Huang らによれば、産地が異なるからといって違いはない、とのこと。(『中華鍬甲』Ⅰ,84 頁)

自分も個体差や地域傾向レベルに留まるかなと思います。

 

 

とりとめなく書いてきましたが、最後に。

 

原名亜種の「顎先ヘラ状、頭のもったり幅広感、毛深さ、脚の短さ」それらは恐ろしいほど顕著で、ベトナムのクラーツにはほぼ見られない特徴です。

個体差を鑑みても、ベトナムのクラーツは、これらの特徴をほぼ共有していない、というのが実感。

つまり、亜種以上でない?というのが私の考えです。

 

むしろ、近年記載された湖南省に生息するジャンビーシェンミヤマLucanus zhanbishengi Wang et Zhu, 2017 のほうが、ベトナムクラーツに近い印象。

とはいえ、両者の間には、広東~広西自治区といった広大な地域があって、そこにはデューヴェイアヌスLucanus deuveianus Boucher, 1998 がいたりします。

 

まあ、そう簡単にはいかないな~というのが、ここら辺、「中国~ベトナム」の種の分布。

この地域・・・まさに深山。

深い山、もとい「沼」ですw

 

さらなる種が登場する日を楽しみですね♪ 

 

では。

***

本種についての過去記事、けっこうありました。
【虫眼鏡アイコン】をクリックすると、「サイト内検索タブ」がでてくるので、そこに「kraatzi」と入れてもらえれば出てきます。

エキサイトブログの頃の古い記事ですし、内容はたいしたこと書いていないのでイメージだけでも参照いただければ、と。

以下はめぼしいとこを。

Author: jinlabo

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