日本におけるミヤマクワガタの型についての考え方
現在のように、ミヤマクワガタの歯型が3つに指定される以前は、いったいどのように考えられていただろうか。
1963年の初版、中根猛彦監修の『原色昆虫大圖鑑 第2巻(甲虫篇)』(北隆館)では、ミヤマクワガタLucanus maculifemoratus Motschulskyについて、次のように記述されている。
監修は中根猛彦、黒澤良彦が執筆者に名をつらねているが、クワガタムシ科の執筆担当は野村鎭である。
基本型:本州・四国・九州の平地および低産地に産する。第1内歯は第3内歯より長く、先端の二又は小さい。
山地型(f. hopei Parry):本州・四国・九州の山地に産する。第1内歯と第3内歯はほぼ同じ長さで、先端の二又はやや大きい。
エゾミヤマクワガタ(subsp. elegans Planet):北海道・千島(国後)、本州(東北地方)に産する。第1内歯は第3内歯より短く、先端の二叉はもっとも大きい。
原著文面を以下に引用する。103頁・プレート52
これによって、1963年の時点では、
第一歯の発達する、現在でいうところのフジ型が、基本型と呼ばれていたことがわかる。
そして、現在の基本型は山地型(hopei型)、
現在のエゾ型は、型ではなく亜種エレガンスssp. elegansとされ、「エゾミヤマクワガタ」の和名が与えられていたわけである。
この枠組みは、先に見たディディエのモノグラフに収録された挿絵の分類を、想い起こさせるものともいえる。
- 基本型(=現在のフジ型)
=ディディエのLucanus maculifemoratusの挿絵(プレートXXII) - エゾミヤマクワガタ
=ディディエのLucanus hopeiの挿絵(プレートXXI)
ミヤマクワガタのタイプ標本
1971年、中根猛彦は、モスクワ大学自然史博物館(ZMUM)に収蔵されたモチュルスキーのコレクションを調査した。 このことは、翌年の『国立科学博物館研究報告15』において英文で報告された。(Nakane, 1972)
☛ Nakane, T., 1972. Notes on the Synonymy and Some Types of Japanese Coleoptera in Certain European Collections: I. Lamellicornia. Bulletin of the National Science Museum. Tokyo 15 (3): 421–428.
原著文面を以下に引用する。(p. 421)
それによると、ミヤマクワガタLucanus maculifemoratusのタイプ標本は、「中型のオス、大顎の基部の歯は太く、しかし中ほどの第三歯よりもわずかに長い。」とだけ記述されている。
続けて、「Lucanus cantoriとラベルが付けられたユニークな標本は、同じ種の小型個体である。」とあり、その小型個体を、ミヤマクワガタのシノニムとして整理した。
Lucanus maculifemoratus Motschulsky, 1861
= Lucanus cantori Motschulsky, 1860
上のような、3行の簡潔な英文で表された内容は、いくぶん詳しい日本語で、かつ挿絵付きで、あらためて『甲虫ニュース』において報告された。(中根、1976)
☛ 中根猛彦, 1976. V. de Motschulskyの記載,記録した日本のクワガタムシ. 甲虫ニュース(33): 6.
[・・・]Japoniaと書いた黄色の小ラベル(時には書いてないこともある)がつけてあり、多くは別に種名ラベルがついている。
と収蔵状況が述べられ、ミヤマクワガタについて以下のように記述した。
Lucanus maculifemoratus, ♂:中ぐらいのミヤマクワガタで大腮基部の歯は大きいが中央歯よりわずかに長い。腿節の黄紋はきわめて長く明らかである。Typeと思われる。♀は見つからなかった。
そして、もう一つの標本については、
小型のミヤマクワガタで、cantoriとして記録されたものであろう。
と書いている。
挿図部分引用(右側の別種の図は省略した)
挿絵には、中根によって「左大腮」と「頭楯」が描かれた。
記述のとおりに、基部の歯が第三歯よりもわずかに長いことが分かる。
正確な体長の表記が欲しいところではあるが、中~小型のミヤマクワガタだと言っていいだろう。
したがって、タイプ標本は、
いわゆる現在の基本型の中~小型個体。
これが、事実上のLucanus maculifemoratus Motschulsky, 1861のタイプ標本とみなされ、現在に至っているわけである。
あれ!?プラネットの研究以来、maculifemoratusってフジ型じゃなかったっけ。。。?
ちなみに、Lucanus cantoriは、中根自身も小型個体だとして1972年に検し英文で報告した際にすでにシノニムとしているが、ホープによって同名のカンターミヤマLucanus cantori Hope, 1842がすでに記載されていることもあり、いずれにしても無効名である。
黒澤良彦による3つの歯型の指定(1976)
黒澤良彦は、中根猛彦によるタイプ標本の確認をうけて、1976年の論文(Kurosawa, 1976)で日本の「ミヤマクワガタ」の学名を整理した。
☛ Kurosawa, Y., 1976. Additional notes on Japanese stag-beetles., Bull. Natn. Sci. Mus., Ser. A (Zool.), 2 (3): 189-194, Pl.1.
この論考の冒頭において、黒澤の当時の分類を読み取ることができる。
日本には、本州中部に産するmaculifemoratus Motschulsky, s. str.、北海道、および本州の山地[mountainous areas]に産するhopei Parry, 1862、本州,四国,九州の丘陵地[hilly areas]に産するelegans Planet, 1898の3つの型が分布する。雄は大顎の形態で区別できるが,雌では区別できない。
そして、中根が検したタイプ標本に言及し、
それは、いわゆるelegansの中型にほかならないことが分かった。
と記述した。(傍線部加筆)
***
さて、少々やっかいだが、整理しながら見ていこう。
当時の黒澤の見方を、冒頭にみた『原色昆虫大図鑑』(1963)の見方を重ねるならば、以下のように理解することができるだろう。
『原色昆虫大図鑑』(1963)担当:野村鎭 | Kurosawa(1976) |
本州,四国,九州の平地および低山地 基本型 maculifemoratus |
本州中部のmaculifemoratus |
本州,四国,九州の山地型 f. hopei Parry エゾミヤマクワガタ subsp. elegans Planet |
北海道、および本州の山地に産するhopei |
本州,四国,九州の丘陵地産のelegans |
おそらく、黒澤の認識として、北海道のものが「亜種ssp.」という分類はなかったと思われる。
よって、黒澤は、hopeiを山地 [mountainous areas]の型として、北海道のも含めて「エゾ型」の名前にあてていたと想像できる。
これは、表で示したように、1963の図鑑において野村が分類した後者2つを含むような分け方だ。
そして、丘陵地 [hilly areas]に生息する型にはelegansとして、現在の基本型を想定していた。
これは、プラネットの分類に則っているように見える。
プラネットは蝦夷(北海道)産の個体でelegansを変種Var.として記載したが、その後、先取権を無視してhopeiの名を原名に立てた後、シノニムにしたelegansの名を復活させ、最終的にhopeiの型form.としてふたたびelegansを用い、hopei とmacurifemolatusのゆらぎの中間型(すなわち現在の基本型)にあてていたからである。
とすると、「タイプ標本はelegansの中型」と書かれたことは、=現在の基本型の中型、と黒澤は判断したと理解できるわけだ。
そして、elegans がhopeiのシノニムであることに触れて、これら3つの型名が1種であることをこの論文で確認した上で、あらためてタイプ標本について言及する。
つまり、elegansとしていた型(現在の基本型)に対して、これまでタイプの名義上の名前であるmaculifemoratus Motschulsky, 1861を、あてなければならない!というわけだ。
この処置よって、elegansであった現在の基本型がmaculifemoratusとなり、elegansの名は消えることとなった。
とするならば、型名としてmaculifemoratusの名は、当時の基本型(現在のフジ型)にあてられていたわけだから、その型名が空席となってしまった。
こういう経緯で、当時の基本型、すなわち「第1歯が著しく長く、その先端を合わせると先端の二叉部が離れる」型(現在のフジ型)について、中根猛彦にちなみform. nakaneiと名付けたのである。
つまりは、長年、学名maculifemoratusの名は現在のフジ型が担っていると思われていたが、(だから当時は「基本型」と呼ばれていたわけで)タイプ標本はそれじゃなく中間の型(図鑑的には山地型、Planet的にはf. elegans)だった!というオチなのだ。
***
このようにして、今日まで支持される
- f. maculifemoratus Motschulsky, 1861 → 基本型
- f. hopei Parry, 1862 → エゾ型
- f. nakanei, Y. Kurosawa nov. →フジ型
の3つの型に分ける見方が確立したのである。
Lucanus balachowskyi Lacroix, 1968
またこの論文で、ラクロワによる Lucanus balachowskyi Lacroix, 1968を、シノニムとした。
Lucanus maculifemoratus Motschulsky, 1861
= Lucanus balachowskyi Lacroix, 1968
タイプは、九州(薩摩)の向田よりえられた個体で、ロシア生まれのフランスの昆虫学者アルフレッド・バラホヴスキー(1901-1983)に献名。
パリの自然史博物館に収蔵されたタイプ標本について、黒澤自身が検し、ミヤマクワガタの小型と判断された。
(p.181より引用)
ラクロワによる記載文は以下。
☛ J.-P. Lacroix, 1968. Description d’un Lucanus nouveau de la faune nippone [Col. Lucanidae], Bull. Soc. Ent. France, 73 (7-8) : 180- 183.
日本産甲虫目録 1976
黒澤の論文に提示された見方は、同年暮れの学名リスト(黒澤、1976)において、あらためて正式に「和名」が添えられて、提示された。
- f. maculifemoratus Motschulsky, 1861 ミヤマクワガタ
- f. hopei Parry, 1862 エゾミヤマクワガタ
- f. nakanei, Y. Kurosawa, 1976 フジミヤマクワガタ
☛ 黒澤良彦, 1976. 日本産甲虫目録 1. クワガタムシ科. 甲虫談話会.
ただし、ここには「基本型」との表記はないことには注意したい。
黒澤論文以後
このように黒澤によって整理されたとはいえ、学名と型名の対応関係が、一部図鑑においてねじれが生じ続けていたことを、確認出来た範囲ではあるが、記しておきたい。
中根猛彦監修の『原色昆虫大圖鑑 第2巻(甲虫篇)』(北隆館)では、版を重ねても以下のように北海道のものを亜種とする見方は変更されてはいなかった。
- フジ型・・・基本型:本州、四国、九州の平地および低山地
- エゾ型・・・エゾミヤマクワガタ:北海道、 本州(東北)、千島(国後)のsubsp. elegans Planet
- 基本型・・・山地型:本州,四国,九州の山地型 f. hopei Parry
また、この図鑑の影響を受けたのかは定かではないが、フジ型を「サト型」、基本型を「ヤマ型」、そして北海道のものを「北海道亜種」(巻末の解説でsubsp. elegansと表記している)として、図示する著作(山口進ほか、1983)もあった。
☛ 山口進・山口就平・青木俊明, 1983. 最新図鑑クワガタムシのすべて. 岡島秀治監修. 双葉社.
黒澤の論文やリストでいったんは整理されたように見えるが、一部の著作のなかでは「北海道亜種」としてsubsp. elegansの名は残り続けていたわけである。
新大図鑑(藤田、2010)おいて、サト型・ヤマ型といった表記は、フジ型・基本型と併記するかたちで掲載されるなど、それまでの呼称をまとめるかたちになっている。
☛ 藤田宏, 2010. 世界のクワガタムシ大図鑑. むし社.
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追記: 2025/01/19 一部文章修正&画像追加.