Il cervo volante チェルヴォ・ヴォランテ
このイタリア語を直訳すれば、「飛ぶ鹿」。転じて、“クワガタムシ”。
ここでは、欧州におけるクワガタムシ、すなわち「ヨーロッパミヤマクワガタ」について、あれこれと語ってみたい。
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ヨーロッパミヤマクワガタLucanus cervus をめぐる歴史は古い。
博物画のみならず、中世のキリスト教写本にさえもその姿が描かれ、古くから人々に認識されていた生きものだった。
時は、1758年。
「分類学の父」と称されるスウェーデンの博物学者リンネ(Carl von Linné, 1707-1778)が、この欧州に生息するクワガタムシを記載した(名付けた)のが始まり。学名(Scientific Name)の基礎は、この時につくられた。
Lucanus cervus (Linnaeus, 1758)
それをうけて、イタリアの博物学者スコーポリ(Giovanni Antonio Scopoli, 1723-1788)は、1763年に、Lucanusという「属」を定め、現在の「ミヤマクワガタ属」の基礎をつくったのである。
Lucanus Scopoli, 1763
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ヨーロッパミヤマクワガタLucanus cervus(以下ケルヴス、あるいはケルウスと表記)、欧州全体に分布しており、ヒトにとって身近な、いわばポピュラーな種であった。
それは、数多く付けられた名前(=学名)に如実に表われている。
これはケルヴスを語る上で、じつは大きな問題点だ。
以下の「学名リスト」を参照していただきたい。
文字列に目がちかちかする人も多いだろう。それほどに、なぜ、どうして、ここまで数多くの「名前」が付けられてしまったのだろうか。その歴史の厚みに、ただただぼうぜんとするしかない。
このように「名前」が溢れている事実には、名付けた学者や愛好家たちの、いわゆる感覚がおおきく作用していることは疑いないだろう。つまり、その名付け人が、「何人か?どこの国の人か?」ということ。
言い換えるならば、「同じものを見ても、同じ感想を持つとは限らない。」ということだ。
昔の人は、現代の我々よりも、しっかりと自然を見極めるまなざしをもっていただろうと想像する。
たくさんの「名前」がある事実は、たくさんの「違い」もあったことを示している事実でもあり、決して過小評価すべきではないし、無視はできない。昔だからといって、バカにしていいものでもないのだ。(それがたとえ、【分類】として正式な「種」としての違いまで至らないだろうとしても)
言語や民族が違えば文化も異なるように、ものの見方や認識はだいぶ異なってくる。このことはグローバルな今日、多くの人が実感していることと思う。
あるいは、それが原因で「分かり合える-分かり合えない」といった人類普遍の問題、戦争にまで発展してくるわけで。
こうしたことが、欧州に広く分布するケルヴスの理解の困難さに通じているにちがいない。
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「命名権」という規約のため、学術的な見地から、既に名のある種に重ねて付けられてしまった場合、後につけられた学名は、シノニムsyn. 「同物異名」として扱われ、整理され、格下げとなる。新しく付けられた名がシノニムとされてしまう場合、先行研究をよく証左せずに記載してしまった、とみなしていい。(悪意ある場合も無きにしも非ずだが)短慮というか、拙速というか、みな、「新種発見!」と我先に自分の名前を残したくなる欲望の結果なのだが。
詳しくは【命名権】を参照されたい。
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さて、話を戻そう。名付ける感覚の問題のほかに、もうひとつの問題も存在する。
学術的に歴史ある種であるがための問題、それは、種の学名の基準として記載の際に指定した単一の標本、Type標本(Holotype ホロタイプ)をめぐる問題だ。
Type標本(ホロタイプ)は、(上にあるような赤いラベルとともに)しかるべき博物館等の公的機関に収蔵されなければならない。
しかし、ケルヴスの場合、そういったタイプ標本のほとんどが行方不明となっている。
記載から長い年月も経っていることに加え、二度の世界大戦を経た歴史のなかで、散逸し、あるいは失われたのだ。
それゆえに、「種」を調べるために基準となるタイプ標本を見本として、手元にいる種とを比較・照合することは事実上不可能 となってしまっている。
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ということで、ケルヴスの類の「種」特定のためには、古い学術論文に記された「記載論文」、つまり種に名前を付けた際の実際の論文を参照するほかにすべはないのである。
具体的には、以下の情報に当たる必要がある。
・形態の説明
・産地の情報
・挿絵
でも、これって、非常に難しいことであることは明らか!
だって、外国語ですから。それも英語なら幸い。古くはフランス語や、東欧の言語だったり・・・(以下省略)
さらには、挿絵。
カッコいいけどね~!!!
こういう視覚情報が付されていたら、幸いなこと。
だが、一方で、挿絵と瓜二つのような個体を、現実に探すのは困難。つまり、絵的な誇張、いわばディフォルメがあるのである。
現代の脳科学において、人間の脳は、対象の特徴を誇張して描く傾向があることは実証済みであるから、しようがない。
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このようなケルヴスが抱える問題に対して、DNA分析をはじめとする世界で最も進んだ日本の昆虫研究の手法で臨むことは、有益であろう。
もちろん、益虫や害虫研究のように、実利を見越した営利活動には到底なりえない、完全に趣味的探求となるのは間違いない!のだが。
一度、ゼロから再構築できたならいいなと、個人的に考えている。
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20180703 rev.